高橋新志の雑記帳です。くだらない事から機密事項までホゲホゲと書いてあります。


by shinji-takahashi
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緊張感と合理性

緊張感と合理性_c0039145_17215495.jpg合理的であればあるほど緊張感が薄れる気がする。
そう感じるのはワシだけ?
例えば、身近な例だと非常に合理的なモンペ、ジャージ、作業着などのいわゆるワークウエアだが、これらは合理性から生まれたものである。当然、当初はそこにはファッション性は無く本来あるべき作業着としての合理性を求めた。ワシも家にいる時はジャージが多い。ジャニスの散歩くらいならジャージで行く事も多々ある。
しかしながら渋谷へ映画を見に行く時は、ジャージでは行かないだろう。なぜ?お洒落のため?それもある、周りの人々へ不快な思いをさせないとか、逆に舐められない為とか、理由は多くあるだろう。
日ごろ、他人の目は気にしないと言っているが、実際は結構気になる(笑)気にしない振りをしてるだけだ。
で、本題へ戻すが、合理的であるはずの作業着が人生の上での本番とも言えるべきお出かけの際には着られないのはなぜ?それは緊張感がないからだ、と思う(ワシはね)
実は、人生において一番大切な物は緊張感ではないかと感じる様になってきた。
緊張感があればこそ、ジャージではお出かけ、ましてはデートには行かないのである。緊張感がない時はジャージでウロウロ可能である。
人間は誰しも生まれた時は緊張感を持って生まれてきている、生物として生きるか死ぬかという究極の中で生を受けるものだから。が、人間として文明人として都会での生活をする人としてLifeを続けるうちに緊張感が薄れ、緩い人生を送れる人間となる。
人生と言う長い期間に少しづつ個人の持っている緊張感の差が生じ、蓄積され、大人へなる頃は大きく違った緊張感を持つ大人へそれぞれ変化しているはずだ。死ぬ前に気がついても手遅れだね、今のうちだね。頑張れ(←ワシ?)

※昨今ではジャージがお洒落着として(とある地域では)認められつつありますが、あれはジャージの外見の美しさ等がお洒落であると認められているのではなく、ジャージを着るシチュエーション、いわゆる運動?する人、の内面的なカッコ良さがお洒落と言う形で露見しているわけである。と思う。
by shinji-takahashi | 2005-05-12 17:23 | よもやま